「寿司・カレー仮説」から考える文化の共通化は好手か
コスト的に考えて一緒にできそうだからまとめてしまう、という発想は、結構危険なことがあるな、と思っていて。
— けんすう (@kensuu) 2016年11月21日
たとえば、寿司屋のごはんと、カレー屋のごはんって同時に炊いて使うと、なんかよくなさそうじゃないですか。それぞれ適材適所のごはんありそうじゃないですか。そんな感じ。
こんなことを少し前に話してました。寿司とカレーの例えば会話のなかで出てきたもので、別にもとからあった仮説とかじゃないのでアレですが。
異なるものを作っているのに、傍からみたら同じように見えるので共通化したほうがいいよね。と感じるけど、本質的には結構違うものなのでなんでもかんでも共通にしないようがいいよ的なお話です。
異なる性質のものを同じ土壌で考えるべきか
事業を立ち上げる上で一定の正義は、やっぱりフェーズによって取るべき選択肢は変わるんじゃないかなぁというのが思っているところです。
まえにこんなことを書いたのですが、一見完全なる正義と思われる方向であってもその時点でその選択肢をとるのはさすがに悪手なんじゃないか、ということですね。それなりに成功している事業やシステムを持っている会社が異なる性質のビジネスやサービスを展開しようとする際、どうしてもその成功している部分の一部を使いたくなってしまうというのはあります。
これ自体は間違っていないですし、使えるものであれば使うべきではあるのですがそれにより本質的にやろうとしている事業が変わってきたり、必要以上に煩雑になったり、柔軟な設計ができなくなるというのは若干違うかなぁと。まぁ本当に正しく汎用的に元が設計されていれば話は違うのですが、なかなかそううまくはできていません。最初に設計されたインフラがベストだとしても、おそらくAWSのようには使うことはできないでしょうし。
文化の共通化は可能か
これも正直難しいと思っていて、売上をうんでいる事業とこれから立ち上げないといけない事業はそもそもの性質が異なってきます。異なるというか、評価軸や管理体制を別にしないとうまくいかない。最もよくないパターンが中間点というか落としどころを見つけるというやり方になりますが、これがどっちつかずでおそらく最悪。
で、どうせならどっちかに寄せましょうとなり、当然成功している事業のほうにカルチャーがよっていきます。コレ自体は間違ってなく、成功している事業に最適化されたカルチャーになっていくのでそっち側に大きな問題がうまれることはない。ただ、なかなか新しい事業だったり文化というものが生まれづらくなっていくんじゃないかなと思います。
当然、完全に別の組織にするという意味ではなく共通化する部分も一部あって良いと思います。会社としてのビジョンだったりバリューだったりってものは同じようにあったほうが良いと思いますし、なんらかの事業評価基準みたいなものがないと成果がでないときの撤退ラインも曖昧になってしまう。
似たようなカニバる子会社をたくさんもっている会社もあるけどある程度自由にさせるために子会社化しているのもあるんじゃないあかんと思います。これはイノベーション戦略の論理に書いてあった「事業をやる方向と回数」が大事だよね、的な話でもあるとは思いますが。
まぁそのあたりの線引は難しいのですが、なんでもかんでも共通にしても効率化どころか必要以上のコストをうんでしまったり、新しいものが生まれづらい環境になってしまう可能性もあるなと思いました。
シャリカレーという魔合体のことはおいておきます。